1948-04-30 第2回国会 参議院 予算委員会 第20号
日本側としては、例えば高砂丸の如き四千人も積まれる船を向けるときには四千人乘せたいというので交渉すると、ソ聯側がそれを聞かない。それでやむを得ずがらがらの船が帰て來ておるしますから、こういうふうなことはこれは巷間傳えられておりますが、実際は反対であつてこういうふうに食糧を非常に切り詰めて乘せないというふうなことや、或いは船長がどこからかよく知りませんが、とにかく二千人以上は絶対に乘せてはならん。
日本側としては、例えば高砂丸の如き四千人も積まれる船を向けるときには四千人乘せたいというので交渉すると、ソ聯側がそれを聞かない。それでやむを得ずがらがらの船が帰て來ておるしますから、こういうふうなことはこれは巷間傳えられておりますが、実際は反対であつてこういうふうに食糧を非常に切り詰めて乘せないというふうなことや、或いは船長がどこからかよく知りませんが、とにかく二千人以上は絶対に乘せてはならん。
合計二萬五千を歸すという協定ができまして、それによつて歸つて參りましたのが、第一囘のソ聯領域からの引揚げでございまして、それを追つて十二月十九日に司令部とソ聯側との間に改めて本協定ができました。
例えば配船がうまくいかなかつたのか、或いはソ聯側のいろいろの事情にあつたのか、その點私はよく知らないのでお聞きしたいと思います。
そのやつたということはソ聯側に通じたわけですか。
○中西功君 いつかソ聯側の何かの發表で、私はつきりしたことを申上げられませんで失禮ですが、やはり配船の問題がうまく行つていない、それに限度があつて送れないでおるということがあつたと思うのですが、今までそういうことは全然ないわけですね。ソ聯側の聲明で、配船の方がうまく行かないから、一遍に多く歸されないのだというふうなことがあつたのですが…。